遂にきました。
スタッフのリレーコラム企画”フリースタイルバスケとの出会い”。
締めは私、オーガナイザー兼パシリのemaになります。
みんな文うますぎだよ。。。そして内容が濃い。。。
スタッフにえびがいて本当に安心したよ。。。
以前出会いについてはLiveBuzzMagazineのインタビューにて触れてもらってるのですが、そこらの話を詳しく書いていきたいと思います。
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フリースタイルバスケットボールに出会ったのは19歳の夏。
大学進学のため上京してしばらく経った頃であった。
将来の夢、“テレビ局で番組制作”
この夢を強く抱いたのは高2の夏だっただろうか。
理系コースだった進路を捻じ曲げるため両親に懇願し、
国立大学進学を推奨する教師の苦言を押し切り
東京の私立大学への進学を決めた。
”とりあえず提案されたらやってみる”をモットーに生きてきた18年間。
先生からついたあだ名は『何でも屋さん』。
そんな私が始めて進路を自分の意志で決めた。
「数年後にはEXILEのメンバーと仕事をして、
ザギンでシースーを食べて、ギロッポンでゴーユーするんだ。」
そんな淡い憧れを抱いていた。
冷静に考えて大分痛い。
でもNHKを除くとテレビのチャンネルが2つしかない地域に、
18年間生きてきた私にとってはガチだった。
話は戻り、沢山の夢と期待を膨らませながら、私のサークル選びは始まった。
大学には、公認で700、非公認だと2000という数のサークルがあったが、
私の中で「放送研究会とバスケサークルに入る」
という決意は固かった。
真っ先に放送研究会のサークル説明へ行き、入会届けを出した。
ただ、バスケサークルはそうもいかなかった。
バスケットボールとの出会いは、小学3年生。
「野球かサッカーをやりたい」と母にいったら
「ただでさえ男の子みたいなのに、ここで野球やサッカーをやったら
将来女の子とのコミュニケーションに苦労する」と猛反対を受け、
当時デブ仲間だった近所の男友達が入ったミニバスに
流れで入会させられたのが始まりだった。
そこから高校までの10年間
“1にバスケ、2にバスケ、3、4がなくて5にテレビ”
そんな生活だった。
そんな当時の自分には、サークルの”ゆるく楽しむバスケ”が
どうにもうまくはまらなかったのだ。
しかし、高校で両肩の先天性の障害がみつかり、
激しいバスケはもう出来ない。
そのため、一旦バスケは諦めて、最初は放送研究会だけに入会していた。
総会員数500人、同期だけでも300人いる環境で
活動を続けていく中で感じることがあった。
“ウモレル” と。
アナウンサーも多く輩出するこのサークル。
女子は如何にも“才色兼備”という言葉が似合う子たちが重宝され、
男子はトークが面白く、体をはれる奴が生き残る。
まさに社会の縮図だった。
「自分にしかできない、突出した“何か”を作らないと」
と、焦りながら、活動を続けていた。
大量にもらったバスケサークルの勧誘チラシの中から
”WASEDA BALLERS”を見つけたのは、そんな頃だった。
そこに書かれていた”フリースタイルバスケットボール”という単語で
YouTubeをとにかく検索した。
それが自分にとっての始まりだった。
出てきたのは2010年の日本一決定戦。
神風VS K46に、衝撃を受けたのだ。
ひとつは神風のイケメン具合に。
ただそれ以上に、K46の2ボールに惹かれた。
ミニバス時代の監督がand1を好きだった影響で、
なんとなく、ボールトリックは知っていたが、
そこにあったのは全く未知の世界だった。
そこから暴’s Brand BallerzとB-BUGを知った。
とにかくはまった。
しかし観るだけならいくらでもできるけど、
画面に映るお兄さんたちはあまり私が関わってこなかったタイプの人間。
私のこれまで接してきた“やんきぃ”というものは、
ぼこぼこに喧嘩しても、勝敗は何故かジャンケン。謎にピースなやんきぃ。
果たしてこの画面の中の人達は、、、多分ジャンケンじゃ済まなくないか。。。
そんなことを悩んでいたとき、名門男子チアダンスサークルに入った高校の同級生や、多数の有名ダンサーを輩出する某ダンスサークルに入った寮の仲間からこう返ってきた。
「仕事でいつか企画とか、制作とかやるなら、
いまのうちステージ立つって大事なんじゃない?」
そんな二人の言葉に背中を押され、
金髪の人相悪いお兄さんが映っている写真にびびりながら、
“部員数7”という数字に不安になりながら、
WASEDA BALLERSのフリーアドレスにメールをした。
その返信がきたのは2週間後だった。
その後、自由奔放なかっちょいい先輩たちに憧れ
個性の強い同期に困惑し、
問題児だらけの後輩たちに出会うことになる。
そしてこの出会いが、自分の大学生活、
更には進路・価値観をがらっと変えることになる。
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と、、、いうわけで、スタッフ陣の“フリースタイルバスケットボールとの出会い”。
以上で終了となります。
いかがでしたでしょうか。
某サークルOBOGで一括りにされがちな私たちではありますが
こうやって見ていくと本当みんな入り口が様々で、
どこが人間のヒットポイントになるかわかんねえなあと。
そしてルーツとなったマインドは大事にすべきだなって。
恐らく、私だったら
中学時代ストリートコートバスケしてる人に近寄らなかっただろうし、
わせぼ2015のPVは、冒頭で靴がきたないなあと思ったし、
HSMはこんな恋愛あるわけねーじゃん!とひねくれてたし、
サッカー部の友達がボールまわしてたらちゃらいなと思っただけで、、、
偶々、私には日本一の舞台・そこでのプレイヤーの姿がヒットしたのです。
偶々、そんなどうやってはじめればいいか分からない人たちの
受け皿になってくれたのが、サークルだったのかなと。
今の自分にも“とにかくやってみる”のマインドは大切で、
それに伴い続けることって、数年後大きくなって自分に返ってきやすい世界だと思います。
このマインドを、これからもキャパの限り、貫いて行きたいですね。
リレー形式のこのコラムは一度ここでゴールとなりますが
様々なフリースタイラーの、様々な出会いを取り上げることが出来たら
もっとわくわくするかもしれませんね!
このコラムが、読んでくれた皆さんにとって
自分のルーツを思い返し、変遷を辿り、これからの活動に思いを馳せる
そんなきっかけになれたら嬉しい限りです。
Writer: ema(↗︎@ema0619)