はじめまして、宮崎雅史(まさし)と言います。
フリースタイルバスケ界隈の人で知らない方もいるかと思いますが、昔Waseda Ballersの代表をしておりました実は。
てことで、今回は、ステージにもたった2年間しか立てず表舞台に出なかった男がなぜ今企画側にいるのか、そんな話をしたいと思います。
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出会いの舞台は今から10年以上前の高校一年生の文化祭、その時は”G-style”というチームでした。
代々文化祭のコンテンツとしてフリースタイルバスケがある変わった学校で、その時すでに5代目。
高校時代の私はというと、特に何かにのめり込む訳でもなく、クラスの中心にいるわけでもない、でも大人しいタイプでもない、そんなよくいるモブキャラの1人。
強いて言えば、”高性能なone of them”(byえまさん)として、昔から何事にも距離をとって上手くこなすことが得意だったように思います。
ある程度の器用さというのは、何というか寂しいもので、日々に突っかかりが無いとでも言いましょうか、流れるように日々が終わっていく感覚があって。
思春期真っ只中にそんな癖のない自分がコンプレックスになり始めた頃、文化祭に向けて誘われたのがフリースタイルバスケとの出会いです。
誘いに乗った理由としては至極安直で、高校時代くらいは何かにのめり込んでみたかったから。
もし別の事に誘われたらそっちに向かっていたかもしれない、そんなふわふわした理由。
ただ、ここでその後Shamgodに行く仲間達と出会いがあり、チームで1つのものを作る面白さやフリースタイルバスケの格好良さに気づけたお陰で、大学時代にようやく熱中してのめり込むことに。
高校近くの児童館で、きっと読者の多くが見たことのある“MSDK from Underground”の真似をしていた頃が懐かしい。
これが私のフリースタイルバスケとの出会い。
昔から熱中してきたものがある人には理解してもらうのが難しいかもですが、少し大げさに言えば生まれて初めて熱中出来るものが出来た感動、それをくれたのがフリースタイルバスケでした。
結局手術で運動禁止になったせいで表舞台にも立たず決して順風満帆には行かないフリースタイルバスケ生活でしたが、一度熱中したイカシタ文化を今後も企画側として自分なりの関わり方でずっと見ていけたらと思っています。
余談ですが、フリースタイルバスケで熱中することを覚えたからか、今は銭湯も好きに。
この話もおいおい語りたい。
それでは、またどこかで。
ついに終盤、Next is …?
Writer: MASASHI(↗︎@__ma34__)