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フリースタイルバスケットボールとの出会い -だいご編-

私がフリースタイルバスケットボールに出会ったのは中学1年生、13歳の時のこと。

運動神経が良いわけでもなく、小学校の頃までは木登りしか特技のなかった少年が、何を思ったのか、中学ではバスケ部に入部。

弱小校ではあったけれど、そこそこ真面目に部活に打ち込んでいたこともあって、部活終わりに地元のストリートコートに通う日々を送った。

遅くまで使えるコートは仕事終わりのストリートボーラーの憩いの場。

当時AND1の全盛期。mixtapeに影響され、オーバーサイズもオーバーサイズのタンクトップとバスパンを纏ったボーラーがわんさかと。今思えば治安は悪かった(笑)

ストリートボーラーに憧れて。お年玉を握りしめて渋谷のバスケショップに通い、2XLの服を買っては母親に怪訝な顔をされた記憶も鮮明。

そんな片田舎のヒップホップ(?)な現場で、私はフリースタイルバスケットボールと出会った。

地元のストリートコートにおいては、タル回し程度のトリックは必修科目。

良く面倒を見てくれていたボーラーにそうした主にコート外で行うトリック、ボール遊びを『フリースタイルバスケットボール』と呼ぶのだと、教わった。

決して良くはない運動神経もあり、私のバスケセンスは皆無。得意なのはフリースローとトラッシュトークくらい。ストリートコートでのピックアップゲームでもさほど活躍できず、悔しい思いをしていた。

しかし当時から、自身の力量の無さを理解はしていても、納得はできない性分。「負けず嫌い」を曲解している私にとっては、「勝つこと」ではなく、「負けないこと」が最重要指標。

その結果、「バスケットボール」での真っ向勝負を捨て、「フリースタイルバスケットボール」に熱中。今思い返してもダサいハマり方をしたものです。

そんなこんなでオールドスクール(当時は圧倒的にニュースクール)な技を身につけてキャッキャしてた。

ネットでフリースタイルバスケットボールを調べてみれば「日本一決定戦」なる大会を発見。多分2007か2008。怖いお兄さん達が球を転がしてる動画を見て戦慄。このお兄さん達には、一生、近づかないでおこうと決意。

ただしテーマ曲になっていたRHYMESTERの『B-BOYイズム』は気に入ってしまって、”イビツにひずむ俺イズムのイビツこそ自らと気付”いてしまい、厨二病発症のキッカケとなる。

スケートやBMXが好きな友達と地元の体育館の横のスペースを使って練習したり。行動だけ見ればめちゃくちゃストリートでイカした中学生だけど。その実情は部活で絶妙に活躍しきれないモブの集まり。

「レギュラーではあるけど、突出はしない」そんなキャラ位置の人、ストリートカルチャーの人には多い気がする。

陰と陽の狭間スタイル。

そんなこんなでフリースタイルバスケットボールとの出会いを果たしたものの、フリースタイル界隈の現場へコミットし始めるのはまだ先のお話。

コンプレックスに正面から向き合わず、斜めに切り込む性格がフリースタイルバスケットボールと私を引き合わせた。

そんなエピソードの紹介でした。

現在もその歪んだイズムは継承しつつ、フリースタイルバスケットボールに首ったけ。プレーヤーとしての自分に課していた期待値が低かったこともあり、その値は想定よりも早期にクリアしてしまった。

今はさらに斜度をキツく設定し、MCというポジション確立に向けて鋭意努力を重ねる日々。

「怖いから近づかない」…中学時代に、そう決意した怖いお兄さん達と、今は一緒にお酒を飲み交わせる関係になるとは思いもせず。

本当に人生はどう転ずるかわからないものです。

この因果は人生の教訓にしても良いかと思っている程。

エンジョイスタイルを貫きつつも、とあるサークルに入るために死に物狂いで勉学に励んだ高校時代。

のめり込みが過ぎて留年までしてしまった大学時代。

社会の荒波に揉まれら練習時間も確保できてきないものの、シーンへの貢献方法を考え続ける今。

…など。

邂逅から約13年間。26年間の人生においては50%の割合を占める年数。良くも悪くもフリースタイルバスケットボールはもはやライフサイクルの一部。様々な角度からフリースタイルバスケットボールに関わってきた私だからできる鬱陶しい自分語り。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

次のスタッフに同テーマの記事をパスします!

お楽しみに!

Writer:daigo(↗︎@daigosan5152